2012/01/26

わたしが日本語教師になったわけ

ブログ企画「わたしが日本語教師になったわけ」に参加してみます。

日本語教師という存在を最初に知ったのは高校生のときでした。
大学でどんな勉強ができるのか調べていて、日本語教育というものがたまたま目に留まり
「いいかも」と思いました。
小さい頃は小学校の先生になりたかったので、教育関係ということで興味を持ったのかもしれません。
また、子ども時代に海外生活が長かったこともあり
日本語教育という響きに外国との繋がりが感じられたのも惹かれた理由の一つかなと今になって思います。
といっても、一番の決定打は、試験を大の苦手の数学ではなくて日本史で受験できるという点でしたが。

こうして無事合格し、大学では日本語教育(厳密に言えば、日本語学)を専攻しました。
在学中は実習やボランティアで地域の日本語教室の日本語教育に携わったりしていました。
そして、大学三年生の秋になり、就職活動の時期が迫ってきました。
大学での実習などを通して経験した日本語教育への道が気になりつつも、
食べていくのが難しい職業だということも充分に認識していたので、ひとまず普通に民間企業への就職活動を始めました。
でも、就職説明会へ行ったり周りの就活生と話したりする中で、やっぱり日本語教育の方がしたいなと感じていました。
日本語教育のやりがいに目覚めてしまっていたのと、企業に就職するよりも自分の人生を自分で決められるような気がしたのです。一般企業だと、希望職種を出せるとしても結局は会社に「あなたは営業」とか決められるようでしたし、勤務地も会社が決定してそれに従わなければならないので…。上でも書いたように、いわゆる「帰国子女」だったこともあるのか、このまま一生日本で暮らしていくことになんとなく閉塞感を感じていました。
それで、就職活動を辞めて、大学院に進学することにしました。
口で言えば簡単ですが、この決定をするのはなかなか勇気が要りました。
普通に就職した方がよっぽど安定はしているわけですし。
当時は夜な夜ないろんな人と飲み歩いて相談させてもらってました。お酒の味を本当に覚えたのもこの頃でした。

そんなこんなで大学院進学を決めて、次はどの大学院にするかという問題。
学部時代を過ごした大学はとても居心地が良かったし、環境も良い方だったと思うのですが、
結局は海外の院にいくことにしました。
これは、興味があった分野が海外の院のほうが勉強しやすそうだったのと、単純に日本を出たいという気持ちがあったからです。
そんなこんなでハワイ大学に入って、ますます日本語教育にどっぷり浸かり、修了時はもう迷うこともなくなっていました。
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