1リットルの涙、他 |
||||||
ドラマとか映画とかでやってたみたいだけど、あまり予備知識なしで読みました。いやぁ、号泣。 頭は冴えてるのに、体はどんどん動かなくなっていく。どんなに辛かろうと思います。この日記が書けなくなってから、文字板による意思疎通さえもできなくなった後のこの子の気持ちを考えると、他人でありながらも涙せずにはいられません。この本が出版されてから20年以上が経ちますが、いま医学がこの病気に対してできることは増えたのでしょうか。 ところで、この本を読んだときの感覚が『アンネの日記』を読んだときのものとよく似ていました。なんでだろう。青春時代を奪われた少女の研ぎ澄まされた感性が綴る絶望と、それでいてやっぱり少女らしい自由奔放さが滲みでてるというか。明から紡ぎだされるどん底の暗というのは、ずっと暗でいるよりも余計に悲しくなります。
お笑いブームのこのご時世、笑いについて論じてる人はときどき新聞などで見かける(日本にいるときに見かけた)けど、この本は特に異文化コミュニケーションの立場から笑いを考えています。といっても、特に堅苦しくなく、読みやすいです。やっぱ笑いの本を難しい顔して読む気にはなれませんからねえ。 日本と欧米のコミュニケーションにおける笑いの役割、どうして日本人はユーモアがないと思われるのか、他の地域ではタブーとされやすいエスニック・ジョークが多民族のハワイでは受け入れられる理由など、笑いって本当にコミュニケーションの一部で、その社会に埋め込まれているんだなあというのが分かってなかなか興味深かったです。
司馬遼太郎がアメリカを訪ねたときの旅行記。司馬遼太郎というと、日本や中国などアジアの歴史が専門と思ってましたが、なかなかどうしてアメリカのことも鋭く切り込んでいます。やっぱり確実な知識と深い洞察力を備えた人は違いますね。私が同じところに行っても「○○が楽しかったです☆また行きたいな。エヘッ」しか書けまへん。 彼の一番の前提は、アメリカは「文化」ではなく「文明」の上に成立した唯一の国である、ということです。だからこそ「文化」を濾過し、世界に通じる普遍性を持たせることができる、と。私はあまり日本人論とか○○人論というものが好きじゃないのですが、この本はあくまで「司馬さんの視点から見た」ということで、新たな視点を知るという意味で気に入りました。司馬さんがアメリカに行ったのは80年代で、20年以上も前のことですが、21世紀の今にも通じるところがおおいにあると思います。 |
||||||
二つの祖国 |
||
山崎豊子。 日系アメリカ人2世がパールハーバーを境に日米の挟間で揺れ動く様子を描いてます。2世の兄弟それぞれの葛藤、一世の両親の日本への強い思い。各々、自分のアイデンティティを探し求め、彷徨い悩む様が生々しく伝わってきます。 一概には、一世は祖国に対するアイデンティティが強く、二世は両国の間で揺れ動き、三世は生まれた国へのアイデンティティを持ちながら同時に祖父母の国への好感も持つといわれています(もちろん、一般論であって必ずしも普遍的ではないでしょうが)。この本はその揺れ動く二世を中心にストーリーが進んでいます。 ドイツでずっと育った友人が昔、「俺は日本人である自分も大切にしたいし、ドイツでずっと育った自分も大切にしたい。どっちもバランスよく自分の中に持っていたい。」と言ってましたが、この本の舞台である戦争の時代は余儀なくどちらの国かを選ばざるを得ない厳しい状況だったんですね。しかも、苦渋の選択の末どちらかの国を選び忠誠を誓っても、その選んだ国からは日系アメリカ人ということで「本当の日本人じゃない」「本当のアメリカ人じゃない」と100%認めてはもらえない。(今も、黒い髪・黒い眼・黄色い肌の人がドイツ国籍持ってて「ドイツ人です」と言っても100%受け入れられるかは甚だ疑問ですけど…) 話は飛んで…私は当たり前のように自分を日本人だと感じますが、それでも、ドイツに行けば多少は「帰ってきた」という感覚はあります。日本にも10年ちょいしか住んでないわけで。疑いなく自分は日本人だけど、かといって日本にいなかったときの自分を捨て去ることもできないですよね。たぶん、いま世界には必ずしも一つの国にアイデンティティを感じない人たちがたくさんいることでしょう。そういう人たちがどちらか(どれか)一つの国に縛られずに、自分のアイデンティティを探し出して保持できて、周りにもそれが自然に受け容れられる社会がいいな、と思います。そのためには、どうすればいいか?難しいです。とりあえず、「○○人」を固定的に定義することに固執する必要はないのかなーって。 |
||
裁判長!ここは懲役4年でどうすか |
||
この冬日本に帰る前に買って、飛行機の中で読んでた本。 なぜかハワイのBookOffに大量に置いてあったので、買ってみました。 裁判といえども、内容は全然重くなくて、裁判の傍聴に足しげく通っている筆者がそこで見たいろんな裁判について書いています。飛行機の中でパラパラパラ〜と読めちゃいました。オウム真理教の裁判ありぃの、殺人事件ありぃの、離婚訴訟ありぃの、痴漢ありぃの…。素人の目からみた素直なフツーの感想をつづっています。 高校のとき、公民の先生が「ぜひ裁判を傍聴しなさい!」と言っていましたが、結局行かないまま今に至ります。そうこうするうちに、日本でも裁判員制度がはじまりますよね。最近は行列相談所やらやら橋下弁護士やらで裁判関係が流行って(?)いますが、いざ自分が裁判員になったら・・・ う〜ん。かなり困りますね。 この本のタイトルみたいに「裁判長!ここは死刑でどうすか」なんて言えまへん、言えまへん。 |
||
ウェブ時代をゆく |
||
筆者が本書でオススメしていることの一つは、「ロールモデル思考法」。 自分のお手本となるような人を見つけて、その人の良いと思うところを真似するというものらしいです。私も4月に言語教育の学会でこれと同じようなことを発表していて(Near Peer Role Models)、その共通点にびっくり。確かにこういう考えって言語学習だけじゃなくて、もっと普遍的にあてはまりますよね。意識的にせよ無意識にせよ、先輩とか友だちとかをお手本にしてる人ってけっこういるんじゃないかなーと思います。 ほんで、今の情報社会、そういうお手本がすごく見つかりやすくなってるんじゃないかな、と。私がブックマークしているブログとかホームページも、改めて考えるとそのときどきにロールモデル的役割を果たしてるような気がします。その時に関心のあるタイプの人が書いてるブログをブックマークして、動向をチェックして(←ストーカー?)見習ったり。今なら大学院を出て日本語教師をやってる人のブログとかけっこう多いです。 基本的に、大企業に入らずに「けものみち」を歩いていく人への親父的メッセージが多いですが、自分の琴線にひっかからない部分は流して、気になる部分だけ拾えばいいのではないかと。 |
||
のび太・ジャイアン症候群 |
||
ADD(注意欠陥障害)・ADHD(注意欠陥他動性障害)は最近よく知られるようになった言葉ですが、実際にどういうものなのかあまりよく知らないなぁと思って読んでみました。 というのも、夏にミネソタで働いたキャンプでアメリカの子どもたちと過ごしたときに、ADDやADHDを持ってる子が本当に多かったんです。普通に「私、ADDだから。」とか「僕、ADHD。」とか言うんです。私のクラスにもはっきりとそう明言してる子が二人いました。症状がそれほど強くない子たちだったので(薬を飲んでいたのかもしれませんが)、少し気を配っていれば特に問題はなかったのですが、他の先生方のクラスにはもっと症状が強く表れている子もいて、いざ自分が担当になったらどうしたら良いのか分からなかったと思います。 この本は、ADHDやADDの基本的なことを説明してくれています。こういう障害を持った人にとって世界はどう見えているのか、どういった行動をとってしまうのか、どういう対策ができるのかなどを丁寧に書いています。教師がどうやって接すればいいのかアドバイスもあり、自分を振り返って反省することも多々。これだけポピュラーになっている障害、自分が担当する可能性がある限り、知らないでは済まされないと痛感しました。関連の本もいくつか手に入れたのでもう少し勉強してみようと思います。 |
||
外国語の水曜日 |
||
大学でロシア語を教えている先生のエッセイ本。 とりたてて革新的なことを書いているわけではないけど、言葉を学ぶことについての根本的なことが書いてるんじゃないかなぁと感じました。言葉はやめないで続けることが大事、とか・・・。特に気に入ったのは
そうだよねぇ、と思う。やっぱり楽しくないとやらんよねえ。それに、先生一人で楽しい授業を作るのもアリだと思うけど、やっぱり学習者の協力無しには至難の業ではないかと。授業はやっぱco-constructされていくもの。私が貢献できる部分はしっかり貢献しつつ、ね。 |
||
読書の・・・夏? |
||
|
相変わらず暑いハワイなんですが。
おまけに、いつもより取り立てて読書に勤しんでいるわけでもないですが。 でもそんなの関係ねぇ!(←まだ古くないですよね・・・?)
アニメは見たことないんですが、マンガ読んでハマりました。 みんなキャラ濃くて、こんな人ふつうにはいないやろ〜と思うんだけど、意外とうちでも「あるある!」みたいな。 でも、今となっては日常生活の当たり前だったことも懐かしくなってることに気付きました。今は実家は両親の二人暮らしだし。もう家族4人で一緒に住むことはこの先ないかもしれませんねぇ (ま、正月とか盆とかは家族が揃うこともあるだろうけど。) |
||
プラナリアとかドイツとか |
||||
けっこう前の話題本のようで、そのタイトルからずっと気になってました、『プラナリア』。 mixiのレビューを見ると好き嫌い分かれてるみたいやけど、私は好きでした。この気だる〜い諦観が逆にほっとするといいますか。切っても切っても再生するプラナリアには所詮なれまへんねんで、ということですわ。
ドイツに住んでる著者がドイツの経済・政治・教育などについて書いてます。最近ドイツネタはあまりアップデートしてなかったので勉強になりました(といっても、2004年の本やけど)。 ところどころ著者の考えるドイツの未来が極論すぎやしないか?という感じでしたけど。そして、これまた失礼な話やけど、裏表紙の著者の写真がちょっと怖い・・・。 |
||||
教えることの復権 |
||
学部のときに教職の先生がやたら「大村はま先生、大村はま先生」と崇めていたのを思い出して読んでみました。その教職の授業自体は1限だった上に面白くなかったので、さぼりがちで行っても寝てることが多かったのですが、肩パットをばっちり入れた先生が「大村はま先生がおっしゃるには・・・」というのだけは印象に残っています^^; そんなわけで読んだ本。なかなか良かったです、うん。 最初の方には大村はまの授業の実践例の紹介。驚いたのは、彼女は同じ教材を二度と再利用しなかったということ。いやぁ〜、私、再利用しまくりですよ。やっぱり二度目の方が一度目を教訓にして改善できるし・・・。でも、大村さんがそうせずにやってきたというのは、やっぱり一度でバシッと成功させるだけの能力があったんでしょうねぇ。いやはや、すごいっす。でも、私ができるかと言われるとちょっと困りますけど。う〜ん。その他にも見習うべきところはたくさんありますが、それを100%実行できるかと言われると言葉に詰まってしまう・・・。ま、「step by stepで精進します」ってとこでしょうか。 後半は、「『教える』ってことは、生徒のやりたいがままにさせておくってこととはちゃいますねんでー」っていうお話。今の教師はあまりにも「支援者」の部分が強調されすぎてて「教育者」の部分が軽視されてるんとちゃいますやろか、っていう問題提示。この辺については私もいまいち考えがまとまってないんですが、興味深かったですよ。(←と言って逃げる) |
||
お〜い!竜馬 |
||
最近はまったぜよ。 むかーしむかしに日本史の授業で習った事件やら人やらがたくさん出てきてて、今さらながら勉強になりました。フィクション多いらしいけど。でも、オススメ ![]() |
||









(ま、正月とか盆とかは家族が揃うこともあるだろうけど。)




